JSPSDフィールドトリップ報告 生徒K.K.さん

JSPSDフィールドトリップ報告

JSPSDで実施した広島、高松、豊島、京都、大垣へのフィールドトリップ(6月4日~10日)の報告を参加した生徒の皆さんに書いていただきました。

以下、生徒K.K.さんの報告です。


フィールドワークの目的

  1. Georgia-Techの学生と共に日本のさまざまな地域を訪れることで、日本の各地域の文化や歴史、また地域ごとの違いに触れてもらうと同時に、私たち東工大生の自国に対する理解を深める。
  2. 訪問先の各地域が現在どのような持続可能な取り組みをしているのか。また、これまでどのような取り組みをしてきたのかを学ぶ。
  3. 大垣北高校の生徒と交流をし、生徒の地元地域での課題を英語で一緒に考える。また、実際に街を回り、大垣市が持続的に発展するにあたっての課題や提案を考える。

以下、訪れた主要な地域ごとに訪問して得られた知見を記述していく。

広島(訪問先:原爆ドーム・宮島)

  • 持続的開発の存在

広島市の人口は1,196,380人(2017年1月)と全国の市町村のなかで第10位に位置付けている。交通機関は充実しており、電車、路面電車、バスといった公共交通が発達している。

原爆ドームへは広島駅から路面電車を利用して移動した。日曜の午後ということもあり比較的混雑していたが、東京で見られるような満員電車ではない。車両が2両編成と、短いのがその原因である。しかし路面電車は車両を多くできないのが欠点だ。利用者が今後増えるようであれば、電車や地下鉄に切り替える必要がある。本数は約10分に1本のペースでコンスタントに来ている。ICカードも利用できるが、ICカードを利用していない場合、電車の一番前の出口からしか出られないことが不便である。また車道の一部が路面電車用に整備されているため、人口が増加し車の利用者が増えた場合、路面電車の駅などが渋滞の原因になると考えられる。しかし、現在は特にそのような問題は見受けられなかった。人口に大きな変化がなければ持続的な交通が整備されていると言えるだろう。ただし、ICカード化の義務付けにより乗り降りがよりスムーズに進むように改善の余地はあると感じた。

原爆ドームは町の中に溶け込んでおり、そこに原爆が落ちたとは想像がしがたかった。しかし、原爆ドーム周辺では戦争経験者やその子孫が資料を用いて原爆の悲惨さを説明していた。日本人見学者も多く見受けられたが、外国人見学者の数も同じくらいいた。そのため、英語で解説する人や、英語で書かれた資料もおいてあり核の恐ろしさや戦争の残酷さを日本人だけではなく海外の人にも知ってほしいという思いが感じてとれた。解説している人の中には若い人は見られなかった。外国人でもわかるように工夫されている点では持続的であるが、若い世代がいなかったという点で持続的ではなかった。

宮島は、観光客が訪れたくなるようなところが多数見受けられた。厳島神社、街中を歩く鹿、昔の日本らしい町並みなどがあり、外国人観光客をはじめとして国内外問わず高い人気を誇るのが見て取れた。厳島神社は潮の満ち引きが見られる。地球温暖化に伴う海面上昇により神社が将来水に浸ってしまう可能性もあると感じた。


(図1)原爆ドーム  6/4訪問

 

         (図2)厳島神社 右にいる集団はGeorgia-Techの学生(6/5訪問)

 

香川(訪問先:豊島)

  • 持続的開発の存在

ここでは大量の産業廃棄物の問題で有名だった豊島を訪れ、この地で起きた問題の歴史を学んだ。

豊島はもともと水に恵まれ、国立公園が存在した。しかし1975年より全国から大量の産業廃棄物が投棄されるようになり、いまでは我が国最大の有害産業廃棄物不法投棄事件(豊島事件)といわれている。産業廃棄物を持ち込まれ、野焼きをし続けていたことで住民のなかには咳がとまらなくなる人が増え、空からは鳥が落ちてくるようになった。住民が自費で様々な形で運動を続け、数十年という長い年月をかけ、ようやく県が動き豊島問題は解決へと向かい始めた。

そして事件開始から約40年の年月をかけ、今年ようやくすべての産業廃棄物の処理が終了した。産業廃棄物の問題となっている土地は全国各地にあったが、このように国や県が処理を後押ししたのはこの豊島を除いてほかに例がないという。世界で見ても豊島ほどの量の産業廃棄物を処理したのはあとにも先にも例がない。

産業廃棄物が深刻な問題となっている場所は古今東西ここ以外にも数多くあるが、なぜ処理をしないのか。それば、莫大なコストがかかるからだ。環境や社会的な面で様々な影響があるが、それほどのコストをかけるだけの予算がないのだという。今回の見学で解説をしてくださった石井さんは、産業廃棄物の問題を解決するのは非常に難しいことであり一番大事なのはそのような事態に至らないよう予防をする他にないとおっしゃっていた。

持続可能な開発には、二つの大事な側面がある。1つは今回の産業廃棄物にみられるような問題を起こさない、という「予防」の側面である。もう一つは、何か起きたときにそこから立ち直るという「回復」の側面である。豊島問題は言うまでもなく「回復」が如実に感じ取れる。しかし、「回復」に頼りすぎている分、莫大な費用が掛かっている。これでは持続可能な開発は困難である。持続可能な開発には、「予防」を第一優先にしつつ万が一何か起きた時でも「回復」が作用するという仕組みが大事なのだと感じた。

 

(図3)産業廃棄物を掘り起こした跡 赤い線まで産業廃棄物が埋もれていた(6/6)

              (図4)豊島の歴史のVTRを見るGeorgia-Techの学生たち (6/6訪問)

 

岐阜(訪問先:大垣市内)

  • 持続的開発の存在

大垣市内の各所を巡り、持続的開発を考えさせられるものがあった。それは、駅前にそびえたつ大型ショッピングモールの存在である。最近できたものらしく、地元住民は買い物するときに良く利用する。中にある店舗数もかなりの数だった。一方で商店街をみてみると、昼間にもかかわらずシャッターが散見された。モールができた影響で商店街のお店の客数が減り占めざるを得ない状況になったとも考えられる。モールには様々な店舗が入っているため非常に便利な存在である。しかし、だからといって商店街が衰退してしまっては持続可能な開発とはいえない。もし何かしらの理由でモールがなくなってしまったら人々は生活に困ることになる。さらには商店街でお店を出す人も暮らしが難しくなってしまう。モールの存在と同時に商店街が栄えている両立した街づくりが大事だと感じた。

また、大垣北高校の生徒たちと交流し生徒それぞれが住む地元地域の課題や生徒たちが将来岐阜県に残りたいかなどを聞いた。私自身合計で15人ほどの生徒と関わることができたが、地元地域の課題として挙げていたのが①少子高齢化に伴う人口の減少②交通機関(主にバス)の利用のしにくさ、の2点がほとんどだった。

少子高齢化に伴う人口減少の問題では、市町村の合併で自分の町の名前がなくなってしまうことや会社が地元地域で減ってしまっている問題があげられた。

交通機関については、バスは1時間に1本のペースである。「30分に一本にするだけでも全然違うのに」という生徒の切実な願いが印象に残った。東京では30分に一本などというのは信じられないが、大垣ではそれだけですごいことになるということに驚いた。電車に至っては、そもそも自分の町に駅がないという声が多かった。そのため移動には自転車を使うことがほとんどだという。大体の生徒が高校まで40~50分自転車で通学しており、東京との違いの大きさに驚いた。

将来のことを聞いてみると「岐阜から出たい」という声もあるものの多くの生徒は、大学は外(主に名古屋)へ行きたいと答えた。しかし将来は岐阜に戻ってきて岐阜の発展のために働きたいと答える声が多かった。

岐阜の持続可能な発展には、今の岐阜に住む中学生、高校生といった世代が欠かせない。岐阜としても小さい時から地元の良さや誇りを子供たちに伝えていくことが大事だと感じた。


                                                                                          (図5)日本の授業を見学するGeorgia-Techの学生

                                                                                                               後ろにいるのがGeorgia-Techの学生(6/9)

 

終わりに

今回のフィールドワークを通し、様々な都市の「持続可能性」を見ることができた。どの都市もその地域特有の「持続可能性」に対する取り組みや課題をもっており、視野を広げることができた。また、Georgia-Techの学生と一週間交流をしていく中で、自分が自国のことをまだまだ理解できていないということに気づかされた。たとえば、鳥居を見てこれは何のために作られたのか、昔の人はその建造物にどのような意味を付けていたのか、のような質問を数多くされた。そのような会話のなかで、普通日本人が思わないようなことをアメリカ人は感じていることも少なくなく文化の違いをお互いに共有することが非常に興味深かった。

また、約1週間英語をメインに会話をしていたため日本にいながら留学をしているような感覚で新鮮だった。1週間生活を共にしていたためグループワークも距離が縮まりより濃い議論ができるようになった。来年度もJSPSDプログラムが続行されるならば是非ともフィールドワークをプログラムの一貫にしてほしい。

最後に本フィールドワークでお世話になった、すべての教員方およびその関係者、様々な手配をしてくださった坂本さん、豊島住民会議の石井さん、大垣北高校の皆さんに心から感謝申し上げます。