日本におけるエネルギー、環境政策と開発

2017/07/12 Wednesday

本日の全体の流れ:

本日の前半は、Woodall先生によるレクチャーでした。タイトルはEnergy Security, Environmental Angst, and Japan’s Evolving Developmental Stateでした。主に日本におけるエネルギー政策と環境政策について時系列で見ていきました。その後は、東京とアトランタのエネルギー問題についてのグループワークでした。教室がダブルブッキングしたため、グループワークは教室外で行われましたが、短いミーティングだけをして後は個人個人の調査をすることにしたグループも見られました。

 

本日の講義:

前半は、Woodall先生によるレクチャーでした。日本のエネルギー、環境政策について学びました。日本における「謎」として、なぜ東日本大震災の後もエネルギー政策は大きく変わらないのか、そしてなぜ再生可能エネルギーの利用によって輸入エネルギーへの依存を減らさないのか、という二点が挙げられました。今回のレクチャーで特に注目するのは、日本ではなぜ輸入エネルギーへの高い依存にも関わらず再生可能エネルギーの利用が他国に比べて低いのかという点です。福島第一原子力発電所の事故の前後で、日本におけるエネルギーの種類がどのように変わったのかを割合で見てみると、再生可能エネルギーは11%から13%に、原子力発電は27%から1%(2013年)に、火力発電は61%から87%へと変化しています。福島での原子力発電所の事故の後も、再生可能エネルギーの利用はそれほど増加していないことが分かります。その理由として、組織的な問題と貿易における他国との関係が挙げられました。

戦後の日本では、政府主導の産業の復興が経済的な復興の主軸とされました(Developmental State、開発志向国家)。よって、日本では中央政府の権限が大きくなります。Capitalist Democracyの種類として、日本、アメリカ、デンマークの三つのモデルが紹介されました。日本は開発志向国家と位置付けられ、中央政府に権限が集中した政府主導の経済政策の在り方が特徴であり、集団主義で調和を重んじるという性格が見られるそうです。一方でアメリカは、Liberal Capitalistと称され、自由貿易、開かれた市場、法律と規制によって個人の所有権を保護することが重視される特徴があり、個人主義であるとのことでした。デンマークはSocial Capitalistと位置付けられ、社会全体での正義や平等を重視し集団主義であるそうです。アメリカとデンマークと比べても、日本は特に政府の影響力が強いことが分かります。C. Johnsonによる日本の開発の特徴も紹介され、日本では産業に関わる政策が政府主導であること、政権が安定していること、政府と民間企業との結びつきが強いこと、そして富を均等に分配することが特徴として挙げられました。これらの特徴は日本のみならず、東アジアで広く見られる特徴であるとのことでした。

組織がどのような原因でどのように変化をするのかについて、日本におけるエネルギー政策と環境政策に注目して学びました。組織、Institutionが変わる原因として、Critical Juncturesと呼ばれる影響力のある出来事があることを復習しました。その例としては、市民戦争、9.11、大恐慌、第二次世界大戦、明治維新などが生徒たちから挙げられました。1945年の敗戦時、日本は空襲や燃料の確保の為に国土が大きく荒廃していたことが指摘されました。この敗戦直後の日本では、政策に変化をもたらすエージェンシーはアメリカ占領軍、再編成された官僚などでした。この時代のCritical Junctureは連合国への降伏とアメリカによる占領です。新しい行為主体として、経済産業省、日本政策投資銀行、大規模の産業ユーザー(経団連)、地域ごとに独占を許された電力会社が挙げられました。戦後1945年から1954年までの主要なエネルギーは石炭であったことが示されました。この時代の帰結として、大規模な工場や企業におけるインフラの整備への集中と石油への依存の高まりが指摘されました。

1954年に続く年代の日本では、経済産業省と大企業が変化のエージェンシーとして挙げられました。特にこの時代では、石炭から石油へ主要なエネルギーが変わったこと、日本共産党の創設が大きな変化であったといいます。日本共産党の創設は冷戦中のアメリカや大企業にとって好ましいものではなかった為、経団連は日本民主党と自由党に圧力をかけ、1955年には両者が合同して自由民主党を結成するという変化がありました。この時代の新しい組織的編成として自由民主党、原子力発電所、新幹線などの技術革新が挙げられました。新しい状況として、自民党の出現による政権の安定が指摘されました。この時代の帰結としては、大企業が公害への実質上の許可を政府から受けるような状況になったこと、加えて輸出業の発達によるアメリカとの貿易摩擦が挙げられました。

続く約10年間では、新しい変化のエージェントとして公害の被害を受けて団結した人々、公害解決にいち早く取り組んだ地方政府、アメリカの圧力などが指摘されました。この時代のCritical Junctureとしては公害に対する市民の運動が挙げられました。Energy Securityについては、プログラムは複数存在したものの再生可能エネルギーの使用はあまり進展しなかったようです。アメリカと日本の貿易摩擦については、日本のアメリカへの輸出による摩擦と、日本が経済的に豊かになりアメリカが日本に市場の開放を迫るという状況下での日本市場へのアクセスを巡る摩擦の二種類が存在したということでした。どちらも、日本政府主導の経済政策によって生み出された貿易摩擦であるとの指摘でした。新しい組織的変化としては、自民党による公害への取り組みが始まったこと、天然資源エネルギーについて活動する組織(ANRE)が作られたこと、石油の利用量の低下と原子力発電の増加が挙げられました。日本の経済開発は、公害を減らしつつ経済的開発を実現した点が特徴であるとのことでした。この時代の帰結として、人々が豊かになり環境問題への関心が高まったこと、バブル経済が起こり貿易摩擦が発生したことが指摘されました。

続く約10年間では、変化のエージェントとして市民社会の台頭、国際的な合意の圧力、民主党政権の誕生、民営化などが挙げられました。重要な出来事として、バブル経済の崩壊とベルリンの壁崩壊、グローバル化の進展が示されました。この時代の新しい組織的変化として、3Es(Energy Security, Economic Efficiency, Environmental Conservation)が掲げられたこと(1993年)、環境省が発足したこと(2001年)などが挙げられました。特に、福島第一原子力発電所の事故の後の変化について注目しました。事故の後、再生可能エネルギー特別措置法(2012年)の施行がありました。また、民主党の管元首相による革新的エネルギー・環境戦略(2012年)も紹介されました。この戦略のポイントは、2030年までに原子力発電の利用を無くすこと、再生可能エネルギーの利用に注目していることであったといいます。2012年には原子力規制委員会も設置され、エネルギー政策は大きく変わったかのように見えます。しかし、その後自民党が政権を取り戻し、原子力発電の利用を進めており、現在休止している原子力発電所の再稼働と新たな原子力発電所の建設が進められているとのことでした。2014年のエネルギー政策では再生産可能エネルギーは主要な要素としては扱われていないようです。

なぜ、日本におけるエネルギー政策がこのように再生産可能な方向へ進まないのかについては、大手の電力会社などとの結びつきが強い政府の権限が強いこと、加えてGreen Partyが無いことに表れているように環境問題を重視する団体や個人の政治的発言権が無いことが理由として挙げられました。開発志向国家のシステムの「なごり」がエネルギー政策、環境政策にも影響を与えていることが分かりますね。

 

グループワーク:

東京とアトランタにおけるエネルギー問題に取り組むグループワークでしたが、教室の利用が他の授業とかぶるというハプニングが起き、Woodall先生の判断でグループワークは教室の外でグループごとに行うことになりました。短く打ち合わせを済ませて、個人の調査へと移るグループも見られました。突然の出来事にも関わらず、生徒たちは自主的に行動をしていました。