作品の読み直しという作業があります。基本的に、今まで「悪い」と考えられていたものを再評価したり、反対に今まで「良い」とされていたものを考え直したりする作業のことを指します。今回は、SDGsの一つである「女性のエンパワーメント」について、ディズニー映画『シンデレラ』の読み直しから考えてみたいと思います。
ウォルトディズニーの制作したアニメ映画『シンデレラ』は、ディズニー初期の名作として広く知られています。一人の恵まれない環境にあった女の子が、王子様と結婚するまでの物語であり、この物語に依拠して、女性が結婚によって社会階層を上層したり、一躍社会で活躍したりするようになることを「シンデレラ・ストーリー」と言ったりもします。一般的には、女性の主体性の描写に欠けるという点が大きな問題だと議論されます。シンデレラが「ただ男性によって救われるのを待つ女性」だということです。この批判を受けて、ディズニーの近年の映画では女性が自ら行動するプロットが意識的に制作されています。
なるほど、確かにシンデレラが自立によって自らを救う選択肢はなく、王子様との結婚のみが救済の方法であるかのように見えるのは社会状況として問題です。しかし、もう一度読み返してみると、『シンデレラ』には女性の強い意志と信じる心の大切さがはっきりと描かれています。この主張は、シンデレラが置かれたような状況を肯定するわけでも、この物語に難点が無いということ言いたいわけでもありません。言いたいことは、この描写から、シンデレラの主体性を読み取れなかったその「バイアス」の強さが問題だということです。
この映画が広く人々から支持される状況であったとき、この映画に見られるジェンダーギャップを指摘することは意味のあることでした。実際に、現在でも意味のある事です。しかし、シンデレラが強い意志を持って継母と姉妹からの差別と抑圧に堪え、その逆境でもなお優しさと信じること、未来の幸せをあきらめなかったことに再注目する必要があります。この映画の大半は彼女の日常の描写に割かれていますが、その描写よりもラストの王子との結婚に注目してきた批判者の視野の狭さは問題です。所詮この年代だから、所詮「女子」が主人公だから、所詮はおとぎ話だから、と限られた視点で限られた一部分のみを見て批判してしまうことが、シンデレラの努力と才能を見過ごしてしまう原因だったのかもしれません。彼女が女性だから、結局何もできはしなかったと最初から決めてしまうのではなく、実際に彼女が何をしたのかを自分で、広い視野で見つめることが重要です。
今回のJSPSDにおいても、「問題」を人々への聞き込み調査から見極めるという作業が行われました。偏見や思い込みをできるだけ置いておいて、実際の人々が何を語るのかがPBLにおいて大切なことでした。
みなさんも一度、とりあえずいろいろ置いておいて、『シンデレラ』を読み直してみませんか?