開催報告:国際協力機構(JICA) 石渡 幹夫氏の講演

石渡幹夫氏の講演:

本日は、国際協力機構(JICA)からお越しの石渡幹夫氏(国際協力機構、国際協力専門員)による講演がありました。タイトルは、What Can We Learn From Great East Japan Earthquake? Issues of Disaster Management and Recovery でした。東日本大震災での経験から得られることについて、福島での経験も踏まえてお話し頂きました。

 

講演の内容:

石渡さんは、世界銀行による東日本大震災についてのレポート、Learning from Mega Disastersの作成に携わっておられます。今回の講演のキーメッセージは、東日本大震災の経験は、今後の環境、エネルギー、災害管理について重要な示唆を与えるものであるということです。

 

災害からの「復旧」(Recovery)の定義の一つとして、高地への新しい住宅や施設の建設の進行具合が挙げられました。しかし、津波の被害にあった人々は、もともとの家と新しい家の二重のローンを強いられている人もいるそうです。新しく家を建てるだけの経済的余裕のない人々の為に、政府はアパートを建設しています。しかし、津波被害にあった地区の家はもともと比較的大きいものであった為、小さくかつ人が密集して居住するこのアパートでの暮らしは、人々にとってはつらいものである可能性があります。

現在家の再建は60%完了しているとのことでしたが、この60%は多いとは言えずむしろ少ないとのご指摘でした。政府の建設するアパートの建設も来年2018年3月には96%達成される予定とのことでした。避難は2011年の震災発生時から長引いていますが、来年2018年までには概ね住宅再建が完了する見込みであるそうです。生徒からどれくらいの割合の人々がどこへ移動したのかという質問がありました。石渡さんによると、多い場合で70-80%の人々が高地へと移り、20-30%の人々がもともと住んでいた地区の外部へと移動したそうです。ある地域では、半数以上の人々が外部へ移動したところもあったといいます。

現在の復旧の現状については、津波被害にあった土地の83%が復旧を完了し、海産物を扱う産業は91%が業務を再開したとのご報告でした。業務を再開した企業の45%は東日本大震災以前の売り上げに回復したそうです。

津波の被害にあった地域と比べて、福島の避難状況は進展が遅いと示されました。2011年に福島で避難をした人々は全体で164,865人、その内福島県外に避難した人々は60,179人でした。2017年現在、避難をしている人々の全体の人数は62,831人、その内県外に避難をしている人々は35,661人であり、現在もまだ県外に多くの人々が避難していることが分かります。

 

続いて、東日本大震災から得られる発見と教訓について学んでいきました。まず、国土交通省が撮影した震災当時の映像を見ました。2011年3月11日15時23分には仙台市の市街地の様子が空から撮影されていました。新幹線が停止している様子も映されていました。津波が襲来した16:00の宮城県の様子や、津波にのまれる老人ホームの様子、名取市、仙台空港が冠水している様子、福島第一原子力発電所の様子も撮影されていました。釜石市の映像では、津波によって家屋が流出している様子も映っていました。東日本大震災では、津波は最大で40mに及び、北海道から東京湾に至るまでの広範囲に押し寄せました。映像からは、いかに短い時間で大量の海水が市街地に押し寄せたのかが分かりました。

東日本大震災の特徴として、経済的な被害が甚大であったことが挙げられました。世界中の自然災害による被害の中でも、アメリカのハリケーン・カトリーナや阪神淡路大震災を抑えて一番大きな被害額を出しています。その影響は広範囲に及び、特に車の生産チェーンが機能しなくなったことで、アメリカ、中国、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど多数の国で経済的な影響が出たとのことでした。

21世紀の災害への対応策として、主にインターネットの機能が紹介されました。Google Person Finderでは直接の連絡は取れなくても、人の安否が確認できます。Twitterは自衛隊も救助要請を確認する為に活用しているそうです。ネット上で資金を集めるJust Giving Japanも紹介されました。現在ではこうしたインターネットの活用も重要な災害管理であることが分かります。

続いて、日本における災害管理について東日本大震災から得られる教訓を見ていきました。

Lesson1: まず最初の教訓は、災害予防設備への投資が必要であり、同時に予測を超えた災害にも備えることが重要であるということです。東日本大震災において津波で亡くなった人数は約2万人であり、被災地の人口の4%でした。災害の規模に比べて、この数字は非常に低いとのことです。100年前に東北で起きた地震では、津波で43%の人々が亡くなったそうです。確かに、死亡者の割合は大きく減少しています。さらに、建物の倒壊で亡くなった人々は約200人であり、この数字もM9の地震にしては低いといいます。東日本大震災では、新幹線も安全に停止しました。東北地方では、300kmに及ぶ堤防、警告システムなど災害に備えて様々な準備をしていたことが被害を少なくすることに貢献したようです。釜石市では津波に備えた堤防は、設置することによって津波の勢いと高さを抑え、約6分間津波の到来を遅くする効果があるといいます。しかし、東日本大震災の津波は予想している津波の規模をはるかに超えた大きさであったため、その効果も完全ではなかったそうです。東北地方の堤防は5-10mの高さがあり、300kmの長さがありましたが、実際の津波の高さは約14-15m級のものであった為津波の侵入を防ぐことが出来ませんでした。津波による被害では、市庁舎が流され市長や市役所職員が亡くなったり、避難所自体が流され避難した人々が亡くなったりするなどの被害が発生しました。このことを受けて、政府では調査委員会を設置して議論した結果、起こり得る災害への予測が低すぎたこと、津波への対策を堤防へ頼りすぎていたことが問題点として挙げられ、より大きな規模の災害をあらゆる角度から予測すべきであったことが指摘されたそうです。

政府の基本的な津波への対応は、津波の大きさに応じて二段階に分かれています。レベル2では、頻繁に起こる規模の津波への対策として主に沿岸地域の保護を行うということです。レベル1では、起こり得る最大規模の津波が起きた際に備えて、都市計画やソフトウェアなど包括的な対策をとるとのことでした。東日本大震災での想定外の津波の規模を受けて、政府も予測する災害の規模を引き上げ、それに備えて包括的なアプローチをとっているということですね。

包括的な災害への対策としては、人々の意識を高めること、コミュニティの都市計画において重層的な備えをすること、そして避難の三段階があるそうです。人々の意識を高める為に、ハザードマップの作製と配布がなされています。コミュニティにおいては、海岸から住宅地までの間に重層的に対策を施します。例えば、海岸側には堤防、高台の住宅地に至るまでに林、公園などを設置するそうです。避難にいたっては、警告システムの整備などが対策として挙げられます。

Lesson2:教訓の二つ目は、災害から学び、そのことを伝えていくことの重要さです。日本は自然災害と約2000年にわたって共存してきた歴史があり、したがって災害に対する経験と知識があるということでした。例えば、釜石市では生徒約3千人が無事に生き延びることができましたが、これも日頃から災害管理の授業を受けていたからだといいます。現在でも、1933年に起きた昭和三陸津波の被害を伝える石碑が建っています。知識の伝達を目的として、災害について学ぶプログラムが設けられたり、避難が困難な障がい者に対して安全に避難してもらうための取り組みもあるそうです。避難の為の階段や通路を建設したり、リスクの高い地域や津波の実際の到達地点を示す看板を立てたりする取り組みも行われています。

Lesson3:教訓の三つめは、災害管理は全ての人が関わることであるということです。特に、コミュニティは災害管理の鍵であるといいます。東日本大震災の被災地では、地元の消防団が津波対策のゲートを閉めたり、住民の避難を促したりしたそうです。震災が発生したとき、現地でまっさきに対応できるのは地域の方々であるということですね。また、日本では災害での損失に対して保険が補償する割合が全体の15%にとどまるそうで、災害における復旧の多くを中央政府が行っているようです。ニュージーランドやアメリカでは保険による補償額が大きく、日本においても災害における損失を補償する保険の在り方が問われます。

続いて、東日本大震災における災害管理の課題について見ていきました。

Issue1:東日本大震災時の災害管理における課題の一つとして、リスクコミュニケーションの不十分さが挙げられました。リスクコミュニケーションとは、災害におけるリスクについての情報を行政と地域住民で相互に伝達する在り方のことを指します。リスクコミュニケーションは、決してトップダウンになってはならず、双方向のコミュニケーションであるべきだというご指摘でした。東日本大震災における情報の伝達について見てみると、災害時の警告システムでは津波を3-6mと予測していましたが、実際は約14-15mの津波が押し寄せました。この警告システムの予測の誤差によっても多くの死者が出たのかもしれません。また、災害前に配られていたハザードマップでは、沿岸から

1kmの地域がリスクエリアと書かれていましたが、実際には沿岸から4kmまでの地域がリスクエリアとなりました。こうした情報の誤差に加えて、ハザードマップを実際に見た人は約20%にとどまり、警告システムがあるにも関わらず地震後すぐに避難した人は約60%にとどまっています。災害管理として様々な取り組みを行ってはいますが、実際には全ての人が安全に避難できたわけではありませんでした。福島では、情報に混乱が生じ避難施設の設備が整っていなかった為、50名の治療が必要な患者が死亡したケースもあります。東日本大震災のこれらの事例から分かることは、政府も東京電力も災害に対する準備が整っていなかったこと、避難指示がうまくいかなかったこと、そして地方政府においては情報が圧倒的に不足していたことが挙げられました。特に福島では、情報の伝達に対して74%の人が不満を抱いていることが示されました。今後の災害管理においては、行政と地域が連携したリスクコミュニケーションが必要であることが分かります。

 

Issue2:二つ目の問題として、外部からの援助の調整が地方政府に任されていることが挙げられました。東日本大震災では、世界163か国と43の国際組織から支援金が、24か国から人的援助が集まりました。これらの支援を管理する責任が、被災地である地方政府に任されていることからその運営が困難であったということです。特に市庁舎が流され、職員が多く亡くなっている状況では、管理もままなりません。支援の管理に対してどこが責任を持つのか、という点については検討が必要なようです。

 

Issue3:三つ目の問題として、脆弱な立場にある人々への配慮と支援が欠けていたことが挙げられました。東日本大震災では65歳以上の高齢者の犠牲が特に多かったそうです。また、障がい者を受け入れられる設備の整った避難所も少ないとのことでした。さらに、避難所では避難している人々との間に壁もなく、プライバシーが守られないことから女性に負担がかかるといいます。壁もない状況では、女性が着替えるのも困難になってしまいます。この点は阪神淡路大震災の時にも問題になったそうですが、今回の東日本大震災でも繰り返された例が見られたようです。避難所を運営する自治会のトップは、往々にして年配の男性であることから、女性に対する配慮が欠けてしまうことがあるとのことでした。

続いて、福島での被害について政府の報告を基にして学びました。政府によると、福島での被害は以下の三つの点から発生したということです。一つは、深刻な事故に対する準備の不足、二つ目に複雑な災害の影響への評価の欠如、三つ目に複雑な災害管理への包括的な理解の欠如が挙げられています。福島では特に避難が長引いており、避難した人がなかなか元の居住地へ戻れなかったり、家族と離れ離れになったりしています。特に典型的な避難の在り方として、子供のいる世帯では父親は仕事のために福島に残り、母親は子供への放射能の影響を恐れて県外へ避難するという状況があるそうです。福島では他の地域と違い、災害後も継続的に人が亡くなっているといいます。

福島では現在でも災害による影響が続いています。福島第一原子量発電所での事故をうけて、福島の人々の間では放射能への心配が広がっています。政府は放射能の値は被害を出さない程度のものであるといっていますが、福島の人々は地域の水を飲むのを避けたり、特定の地域を通るのを避けたりしている人もいるそうです。震災の影響で福島では人口が減り続けています。さらに、福島から避難してきた人々とその受け入れ先の人々のコミュニティの間でいさかいもおきているとのことです。避難をしてきた人々が受け入れ先の地域の公共施設を利用するので混雑したり、また月に一人当たり10万円を支給されていることなどから、コミュニティ間での摩擦が発生しているようです。福島の復旧については、いつ避難した人々が戻ってくるのかも予測できないためなかなか進展はしないとのことでした。

一方で、復旧に向けてサポートも広がっています。福島大学では、研究者と地域の人が一緒になって地域の放射線量を計り地図を作っているそうです。福島大学の生徒と被災した子供たちでサマーキャンプを行う取り組みもあるとのことでした。

東北地方の沿岸部では、緑地帯がコミュニティによって守られてきました。例えば、高田松原の海岸にある松林は350年に渡って地域のコミュニティが守ってきたそうです。こうした沿岸部の緑地帯は津波の速度と勢いを減らし流れてくるゴミをせき止めることでコミュニティを守る役割がありました。しかし、現在では堤防などその他の設備があるためコミュニティの人々が緑地帯を維持する動機が薄くなってきており、結果として地方政府が管理をしていることが多いそうです。

東日本大震災では震災ゴミが2000万トンも発生しました。これらの震災ゴミは、分別、リサイクル、再利用されているそうです。災害ゴミの80%以上はリサイクルされているとのことでした。生徒から、処理施設の運営はどこがやっているのかという質問がありました。石渡さんによると、地方自治体が実際の運営を行い、費用は国が負担しているそうです。

今回の講演で石渡さんが一番伝えたいのは、東日本大震災での経験は今後の環境、エネルギー、災害管理において重要な教訓を与えるものであるということでした。災害自体は避けることができないからこそ、その被害の防止や管理が重要になってくるのですね。

講演の後には、生徒たちから質問がありました。ある生徒は、津波の来る前に政府が高台への転居を進めることはあったのかと質問していました。石渡さんは、津波の前ではなく後に転居の指示を出したとお答えになっていました。他の生徒は、津波の予測がなぜ実際の津波よりもあんなにも低かったのかと質問しました。石渡さんによると、津波の予測は今までのデータを集めて出すものである為、東日本大震災の例を見ない規模の津波は予測ができなかったということです。またある生徒は、福島の人々が自分たちで放射能を測定していることをうけて、その必要性について聞いていました。石渡さんは、キノコや川魚などは高い放射線量がでることがあるが、その他については必ずしもそうでもないとお答えでした。その他にも様々な質問が出ました。

東日本大震災の被害とそれへの対応、特に福島第一原子力発電所での事故とそれへの対応からは、災害の規模が例を見ないほど大きかった故に、学ぶものが多いといえます。今後の災害管理について、より被害を小さくし復旧を早める為にもしっかりと振り返り考える必要がありますね。

 

研究員の個人的な感想:女性・障がい者であることは「嘆かわしい」ことか?

「社会的弱者」として女性と障がい者が挙げられることがあります。今回の例でいえば、避難所における困難に直面しやすい人々として分類されるということです。なるほど、女性であれば避難所で服の着替えも難しく、生理であれば生理用品が必要であり身体的にも配慮が必要です。障がい者であれば、各々の状態に応じて適切な対応と配慮が必要です。では、これらの社会的なカテゴリーは実際には「何を」意味しているのでしょうか。結局のところ、配慮を相手に必要とする「やっかいな人々」もしくは「役に立たない人々」というレッテルが女性・障がい者というカテゴリーに貼られているのではないでしょうか。実際に彼らが命を懸けて守ったものがあるとしても、それらはこのカテゴリーの前では良くて「例外」扱い、もしくは「黙殺」されます。社会的なカテゴリーとは、ある特定の要素を集めて形成される「理解がしやすい」分別の仕組みであるからです。カテゴリー分けでは、その「分かりやすさ」がカギになります。

「役に立たない人々」の反対、「役に立つ人々」とはこの場合誰でしょうか。濁流の中堤防のゲートを閉められる人々、海に遺体を探しに行く体力のある人々を指すのではないでしょうか。そして、性別二元論に基づけばそれらの人々は「男性」というカテゴリーになります。戦時下でもそうですが、そうすると「役に立つ」「男性」が「役に立たない」「女性」「障がい者」を守る、助けるという図式が成立します。この図式を鵜呑みにすれば、女性・障がい者は守られる立場の「弱い人々」となります。この意味の枠組みの中では、女性であること、または/かつ障がい者であることは「嘆かわしいこと」になります。

しかし、実際はそんなに簡単ではありません。レッテルを再盗用して「役に立ちませんけどそれが何か?」というのも手ですが、そもそものカテゴリーには明らかに無理があります。「あなたも女性、私も女性だけど私は障がい者でもある。」という場合もあれば、「普段男性としてパスしているが、自分を男性とは思わない。」という場合も存在します。つまり、社会的に割り当てられるカテゴリーと実際の人々が合致することは永遠に無いということです。また、その人が「女性」「障がい者」であるということをなぜ「あなた」が「分かる」「知っている」と思えるのかという問題もあります。「あなた」がなぜこれらのカテゴリーに属する人々を予測する、もしくは決定することができるのかという問いです。

加えて言えば、何が「役に立つ」のかどうかということは、人間には判断ができない事柄であるとも考えられます。今、この時何がどのように動いており、それが膨大な時間の中でどのような「意味」を持ちうるのかというのはまったく未知であったりします。したがって、女性・障がい者というカテゴリーとどのような関係にあったとしても、誰もそれによって「嘆く」必要は必ずしもないはずです。カテゴリーと「嘆かわしさ」について考えることも、人命について考える一つの方法ではないでしょうか。