29 Nov 2017: Keynote Lecture of “Methodology of Transdisciplinary” by Eugene Kangawa @Shibuya Hikarie

Lecture by Eugene Kangawa at COURT 8, Shibuya Hikarie, Tokyo, 29 November 2017.  Photo © TiTech 2017

“Methodology of Transdisciplinary Research: Theory and Practice” (TSE.C317) is one of the courses of Transdisciplinary Science and Engineering Department, School of Environment and Society, Tokyo Institute of Technology, which aims to learn about various examples of “fusion” in the creative field and find clues for new industries, businesses, and academic researches. To be more specific, this course explores urban design, fashion, AI, biotechnology and information with case studies and methodology.

Lecture Information
Lecturer: Eugene Kangawa
Date: November 29, 2017 (Wednesday)
Time: 18:30 – 20:00
Location: Shibuya Hikarie COURT
Capacity: 20 people (participation limited to the Tokyo Tech students enrolled on the course)

Lecture Summary
Half century has passed since the publication of Stanley Kubrick’s “2001 – A Space Odyssey” in 1968, Blade Runner’s original work, and Philip K. Dick’s “Do Androids Dream of Electric Sheep”. How much things have progressed from the future image that humankind once drew? And in the next half century, how should I/you act? Eugene Kangawa from THE EUGENE Studio, “Deep Mode – expanding fragments for new paradigm” was invited to give keynote lecture of the course. Eugene’s activities span from AI Agency, to automobile research and development, Biotechnology, agriculture, and cities. This lecture aims to explore a vision of the future from integrated technology on various crossing areas.

During the beginning part of his speech, Eugene’s gave exercise using KeyNote to randomly fragment and arrange some keywords. The obtained results were interesting match-up such as “Artificial Intelligence (AI) and agencies”, “Function and Communication”, “Game Engine and the Old Testament”, “Objects and the whole”, and “Multiple Fields and Paranoia”. The purpose of this exercise was not to sympathize with the floating arguments on the surface, but rather to understand them intersection systematically.

Eugene’s remarks was as follow: instead of looking at technology in general, we should look at the contents in detail as well. Instead of causing huge innovation, it should be building the “world” from the relationships of the series of detailed technological process. Also, while crossing specific disciplines, the discussion should be gradually abstracted by itself.

Eugene then moved on the specific discussions of the previous obtained keywords. The lecture ended with vibrant Q&A during which Eugene expressed his positive exception of the future of creative AI.

(Summarized from TSUDA Hiroshi’s report in Japanese)


Eugene Kangawa
Eugene Kangawa. Photo © personal documentation

 

講義情報

東京工業大学 環境・社会理工学院融合理工学系 「融合技術論」基調講演
講師: Eugene Kangawa
会期: 2017年11月29日(水)
時間: 18:30 – 20:00
開場: 18:00
場所: 渋谷ヒカリエ COURT
定員: 20名
事前申込: 要
参加者は東京工業大学融合技術論全回受講者および第1回講座受講者に限る
主催 : 東京工業大学 環境社会理工学院 融合理工学系

融合技術論では、多彩な分野の講師陣によりクリエイティブな諸分野の「融合」の例を学びながら、新しい産業やビジネス、学術研究の糸口を一緒に模索する。具体的には、都市設計、ファッション、ウェアラブル、人工知能、バイオテクノロジー、情報などをテーマに、「融合」をめぐる手法と具体例を学びながら、自分なりの「融合」のアイデアを組み立てるプロセスも体験します。

講演概要

1968年、スタンリー・キューブリック『2001年 宇宙の旅』、ブレードランナーの原作、フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の発表から、直に半世紀が経過します。
人類がかつて描いた未来像から、現在はどれだけ進展したのか。
そして次の半世紀、わたし/あなたはどのように臨み、行動するべきなのか。
講師が過去に携わってきた人工知能エージェンシーや自動運転の研究開発、バイオテクノロジー、農業、都市などの領域を横断し、東京工業大学融合技術論 基調講演として、次の未来像についての講演を行います。質疑応答あり。

イベントレポート:基調講演内容

細かな技術とポスト・イノベーション

KeyNoteを用いて、冒頭、ランダムにキイワードがフラグメントして並べられた。「人工知能とエージェンシー」、「ファンクションとコミュニケーション」、「ゲームエンジンと旧約聖書」「オブジェクトと全体」、「多領域と偏執」など。どれも刺激的なものであった。こうした浮遊するフラグメントに対して表層的に共感するのではなく、横断的に構造的にどう理解するのかが、本演習の課題である。
Kangawa氏の総論のベクトルは以下である。技術を概論的にみるのではなく、細かく技術の中身をみていくこと。大きなイノベーションを起こすのではなく、細かい技術のプロセスの連鎖、関係性のなかから「世界」が構築されていくこと。また具体的な領域を横断しつつ、徐々に議論自体を抽象化していくこと。以下、要点をピックアップしてレポートしてみていこう。

 

Eugene Kangawa基調講演.  Photo © TSE Department TiTech 2017 

人工知能と人工知能エージェンシー

Kangawa氏はまず手始めに、認識の使い方に注意を促す。しばしばわれわれは人工知能と人工知能エージェンシーを混同しやすいが、両者は違うと指摘する。人工知能は、それぞれのフェイズで限定的に情報処理として機能するものだ。つまりファンクションである。ファンクションとして、人間が使う対象、人間と協業する対象である。もちろん人工知能がエイリアン・インテリジェンス、たとえばAlphaGo(囲碁のAI)のように、人間には思いつかない手を打つこともある。そのとき、新しい別種の知性として、新しいアイディアを提供するものとして付き合えばよい。他方、エージェンシー、つまり人工知能エージェンシー(AI搭載のロボティクス)は人間と接するインターフェイスである。つまりそれはコミュニケーションである。現在、人工知能エージェンシーは、愛らしさをもち人間への親和性を装っているが、その実データ収集等、ほかを目的としている。他方、認知症患者へのサポートやそのコミュニケーションなどにもこのエージェントは活用できるだろう。ファンクションとしての人工知能、コミュニケーションとしての人工知能エージェンシー。両者を混同したり「融合する」ことはカテゴリーエラーを起こすことになるとKangawa氏は指摘しているようだ。もし混同すると、ファンクションである人工知能がコミュニケーション領域に関与し、人間の職を奪うのではないか、全知全能者に支配されるのではないかという一般的な議論のほうへシフトしてしまいがちだ。「融合」の前に、認識の区分をしっかりすることが大事だと示唆している。

オートクチュールと3D形成技術/ブロックチェーン/ナノテクノロジー

オートクチュールはオーダーメイドの服であり、大量生産しない。他方、ファストファッションは大量生産できるが、個人に対して完全にオリジナルで魅力的なストーリー、履歴をつくることができなかった。しかしファストファッションがオートクチュールの領域に迫る可能性が出てきたのではないか。たとえばZOZOsuit を見てほしい。オートクチュールで重要な要素であろうサイジングはある程度、あるいはかつてない精度で果たされる可能性がある。
1800年以来の伝統をもつオートクチュールを超えるものとして、例えば3D、IoT、ブロックチェーン、ナノテクロジーの横断的掛け合わせ、細かな技術の連鎖の中から生体センサーをもち履歴のある服が生まれる得る。またそれはファッションにとって非中心的な場所(周辺産業)から達成するのではないか。つまりアップルやアマゾンからオートクチュールができてもおかしくない。ブランド会社からファッションが立ち上がるのではなく、まったく予想外な、周辺的場所からブランドがたちあらわれる可能性がある。さらに極端にいえば、デザイナーという作家主義の終わりと新たなはじまり(21世紀の「作家の死」)をKangawa氏は予見しているようにも聞こえる。

モビリティとインフラ

自動車の事故の場合、多くはドライバーが責任をとる。しかし自動運転車の場合は、ドライバーではなく、保険会社の「保障」の問題になる。1908年の高速道路というインフラは、車走行専用のよいアイディアだった。地下に高速道路を作ることも可能だ。自動運転車は、高速道路のような、自動運転車に適応したインフラをつくる問題なのではないか。氏はここでコンテンツ(自動運転車)よりも、コンテキスト(背景としての高速道路)を重視している。コンテンツとコンテキストの関係をわれわれはどう考えるか。未来の「融合」にとっては避けて通れない問題になるだろう。

ゲームエンジンと世界創造(旧約聖書)

ゲームに関する技術は明らかに、2000年始めまで日本がリードしていた。今、オープンソースとして「ゲームエンジン」が世界の主流になっている。重力、風、光、天候、地面などを入力でき、シムーレスなオープンワールドをつくることができる。これは、ユダヤ/キリスト教の旧約聖書を思い出させる。はじめに光があり、大地、大気ができ、海ができた天地創造。つまり文字通り世界をつくろうとする意志だ。「ゲームエンジン」とはこの「世界」≒さらに簡単にいえば「プラットフォーム」としてつくることへの意志ではないか。
反対に、日本では例えば八百の神々といった感覚の下、小さな世界に神々の創意工夫がまずあった。これは地政学的にある程度必然的だったのかもしれない。わかりやすく言えば「ものづくり」、さらに言えば「オブジェクト」の端への関心と言い換えてもよい。しかしこのものづくりが、なぜ世界構想、プラットフォームづくりに繋がらないのだろうか。日本では、CG、ポストプロダクションの中には世界構想の技術があったのにもかかわらず、なぜできなかったのか。Kangawa氏は、ユダヤ/キリスト教的な、簡単に世界をつくれるという構想力が日本のテクノロジーには備わっていないのではないかという重要な指摘をしている。この問題は、現実/仮想という二元論を超えて「世界」を制御する、現代思想の思弁的実在論(speculative realism)の課題と通底しているのは見逃せない。

多領域と偏執

ダヴィンチは、絵画、飛行機、人体解剖など多領域で活動をした。しかしこれは多領域の活動ではなく、1つの対象に偏執し、そこから「モデル化→抽象化→多領域」へと汎用性を広げた結果ではないか。
まず、誰も気にしない対象に偏執すること。この細部への偏執が、結果的に多領域につながるのではないか。大きな差異の発見による革命的イノベーションではなく、小さなモデルの反復の延長によって、偶発的にイノベーションが起きるのではないか。「反復が差異をつくる」、それが「ポスト・イノベーション」ではないか、とKangawa氏は示唆している。
Kangawa氏は、会場の状態を見ながら、キイワードを偶発的に出されていった。その偶発的組み合わせから、偶発性に対応する力、つまり想像力、推理力、偏執力が問われる、まさに融合するための基礎力としての知性の問題提議の場になった。

質疑応答抜粋

——ゲームエンジンについて、「世界」をつくることが海外ではなぜ主流なのか?
現代型のゲームエンジンが20世紀末に登場し、それがオープンソースであったことが大きい。誰もが使える。映画、物語、聖書の天地創造などアメリカを中心とした世界構想から細部へ至る志向は今後も続くだろう。

——企業との関わりはどうされているか?
企画立案、戦略構想へ私たちがはいっていくのはなぜか。デザインシンキング等の良さ、問題点もわかった今だから、その先にある抽象的なものをタイトに可視化する力が、切実に求められているのではないか。

——チームでの活動はどうされているか?
2つチームの利点がある。現代の消費の速さはすごい。個人で対応するには身体的に限界があるため、健康的に対峙するためにはチームがいる。また私自身が思考を行うコンセプチュアルアーティストであるため、コンセプトから他のものが発露することをある程度許容する。これは手工芸的技術では難しい。

——様々な情報が行き交う中で、あなたがまず開始点とする基盤があるとすれば、どこにありますか?
最終的到達点をもうけているわけではなく、反射的な知性のあり方が重要。まとまった考えよりは、偶発性をいかに活かすか。これは感覚の問題ではなく知性の問題である。

——クリエイティブなAIの可能性について
私は、この点に対してポジティヴだ。あくまでも、よい協業相手として認知している。

文章:津田広志