環境安全保障の歴史と今

先週の講義後から本日までに、日本は様々な災害に見舞われました。土曜日は、千葉県北東部で震度5弱の地震があり、週末にかけて西日本は豪雨に見舞われ、13府県で死者が126人、行方不明が79人(2018/7/9現在)となるなど、災難の多い週末でした。限られた日本での滞在期間中に、様々な場所を旅行しようとしていたジョージア工科大学(GT)の学生の中には、週末、京都を訪ねていた学生もおり、雨の影響で、「電車の中と駅のホームで20時間ほど過ごした」「電車が2時間以上遅れ、駅が人で溢れかえっていた」と、話していました。「九州に行こうとしていたが、乗る予定の電車が動いていなかった、行かなくてよかった」と言っていた学生もいました。

学生達は講義が始まるまで、Woodall教授も共に、週末の出来事について共有し合っていました。Woodall教授もおっしゃっていましたが、学生達、皆、無事に帰ってくることが出来て、本当に良かったです。私自身、学生皆の顔を見ることで大変、安心しました。JSPSDの参加者一同、まだ続いている捜索・救出作業の健闘を祈るばかりです。

 

さて、本日は、Woodall教授により環境安全保障(Environemtal Security)についての講義が行われました。この講義は、「なぜ、1960年代後半から、すべての先進工業国において、環境保全は深刻かつ永続的な懸念事項となったのか」という問いかけから始まりました。

Woodall教授は、まず近代産業の発展に伴い拡大していった公害問題を紹介してくださいました。

1950s Los Angeles smog について説明している様子

以下は、本日取り上げられた公害の事例です。

  • 1948 Donora Smog  (米国ペンシルベニア州)
  • 1952 Great smog of London
  • 1950s Los Angeles smog
  • 1950s-1970s 四大公害病 (水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病)

その他、水質汚染の話が取り上げられ、Woodall教授はアメリカであった以下の出来事を紹介してくださいました。

・Cuyahoga River Fire Cleveland
・Santa Barbara oil spill 1969 (参考:FOX11 archives, the 1969 Santa Barbara oil spill: https://youtu.be/qNQe86lOSdA )

これらは、米国のClean Water Act(CWA:水質浄化法)という水質汚濁の規制に関する法律成立へと導いた出来事でもあります。

また、米国で世間の環境問題に対する認識を高めた例として、Rachel Carsonの”Silent Spring” (1962)が取り上げられました。”Silent Spring”は「沈黙の春」と訳された邦題で知られています。Rachel Carsonは著書の中で、鳥の鳴き声が聞こえない春という出来事を通して、当時使われていた化学物質、主にDDT(Dichlorodiphenyltrichloroethane)などの農薬の危険性を訴えました。(参考 PBS Rachel Carson: https://www.pbs.org/wgbh/americanexperience/features/rachel-carson-trailer/ ) 私が、米国で受講した「環境工学の原則」や、「環境アセスメント」、「土木工学システム」の授業の中でも、Rachel Carsonが世の中に与えた影響については、何度も取り上げられていました。そもそも女性の研究者が少なかった当時に、研究者としてだけでなく、作家として、科学者として、生態学者として活躍し、環境問題に対する認知度を全国的に向上させたその影響力に、改めて、彼女の環境に対する想いの強さ、言葉の力、そして一人の女性としての強さを感じました。Woodall教授は、彼女の存在を、環境安全保障の歴史の中で、重要な転換点であったと述べていました。

Silent Springによる社会運動と関連して、1970年より始まったアースデイの紹介もありました。(参考 Video: Earth Day 1970 Part 1: Introduction (Walter Cronkite): https://youtu.be/WbwC281uzUs )

講義の後半では、前半の内容を踏まえて、現在の環境対策・政策について考えていきました。

まず、Woodall教授と共に、立場・機関・組織によって変わる、環境安全保障に対する考え方の違いについて、話し合いました。具体的には、WWF、グリーンピースなどの環境団体が語る環境保全とBPやエクソンなど石油関係の企業が唱える環境保全の違いに注目しました。この違いはどうして生まれるのか、以下の産業災害と共に学びました。

・Love Canal (upstate ニューヨーク) :Hooker companyの産業廃棄物処理場として使われていた
・1979 スリーマイル島原子力発電所事故 (米国ペンシルベニア州)
・1984 ボパール化学工業事故 (インド)
・1986 チェルノブイリ原子力発電所事故
・1989 エクソンバルディーズ号原油流出事件
・2010 メキシコ湾原油流出事故 (BP社のディープウォーター・ホライズンにおける原油流出)
・2011 福島第一原子力発電所事故

最後に、本日学んだ公害や災害を頭に、環境安全保障のチャレンジは何か、クラス全体で考えました。

ーなぜ、EPAやパリ協定など環境問題を解決させていこうという動きがあり、これまでの災害の経験から、進むべき方向が分かっていながら、企業、市民、国などの間で意見が食い違うのか。ー

写真 講義の様子

この問いに対し、政策を立案する、また行動を起こしていく人々の心理を理解する為、Woodall教授は、”コモンズの悲劇”(Tragedy of the Commons)や、囚人のジレンマ(Prisoners’ dilemma)を紹介してくださいました。

本日の講義は、公害から産業災害、また理論の話も含め、濃い内容でした。GT生は、自主的に、ある出来事について説明をしている姿も見られ、すでに知っている内容が多かったようです。東工大生にとっては、驚きの声が上がることもあり、知らなかった出来事が多かったのではないかと思います。Woodall教授は、今日の講義は、アメリカの環境安全保障を中心にしており、次回の講義では、日本の環境安全保障を中心に講義を行う予定だとおっしゃっていました。講義の内容を、そのまま学ぶのではなく、アメリカで学ぶ学生と日本で学ぶ学生が共に学ぶこのJSPSDならではの環境を利用して、環境安全保障についても、学生同士、教え合い、学び合えると良いのではないかと思います。

記録:庄司 (Kanaha Shoji)
2018年5月ジョージア工科大学、環境工学部を卒業。JSPSD2018を研究員として補佐。