Art & Scienceが、Experiment(実験)の連続の果てに、なにをもたらしたか?
東西冷戦(ソ連とアメリカの対立)はさらに大きくなる。この対立の代理戦争とでも呼べるベトナム戦争(北ベトナムVS南ベトナム)が起きる。同時に世界史上もっとも文化レベルで高揚した。東西冷戦の対立構図の緊張からか、カウンターカルチャー(対抗文化)、公民権運動、フェミニズムなどがおきる。中国の「知識層」などへの暴力的な批判を加えた文化大革命、68年、パリ5月革命など国民、市民、学生を巻き込んだ「異議申立て」が世界を激震させた。Scienceでは、月面着陸、宇宙遊泳など宇宙への開発が進む。また日本では、東京オリンピック、新幹線などを契機に高度経済成長に突入する。上の高揚を実現するために、Art & Scienceは、さまざまなExperiment(実験)を無制限に行った。その結果、モード、文化、製品などが次々に更新され、革新性の高い世界を構築していった。
ウォーホルのシルクスクリーン(「マリリン・モンロー」)
アメリカを中心にした「豊かな」大衆消費社会が台頭した。それに対し、Artも反応した。ウォーホル、ハミルトンにみられるポップアートだ。大衆消費社会の現実を忠実に反映しながら、それへの批判を虚無的に表現した。またミニマリズムは、大衆消費社会への反動だろうか、最小限の方法で抽象化していくストイックな表現を追求していった。さらにヨーロッパのアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)は、ミニマリズムと共鳴しながら「豊かさ」に対して「貧しさ」を表現していく。その他、フルクサス、ネオ・ダダなど、さまざまに実験がくりかえされた。
大量生産がはじまったカセットテープ
Scienceも、テクノロジーと一体化しながら大衆消費社会の中で、薄膜トランジスタ、ダイオード、半導体をつかった電卓、カセットビデオテープなどの製品を次々に開発していった。Scienceは大衆消費社会を加速させ、その延長に今日のコンピュータの開発が行われた。コンピュータは軍事目的だけではなく、民用のあり方が構想されはじめ、矛盾を帯びた役割をもつようになる。この時期、Scienceは大衆消費社会への批判的機能を果たさなかったが、巨大な「成長」エネルギーの源泉になっていたことは間違いない。
また、Scienceは、相対性理論と量子論をベースに、従来の因果関係や時空間のあり方を問い直し、定型を超えた運動世界を発見していった。さらに限定された対象に対する法則性を考える「部分合理性」だけではなく、環境や世界との接合を余儀なくされたのもこの時期である。カーソンの告白書『沈黙の春』(1962年)に代表される科学物質の環境汚染は、Scienceに深い思考転換をうながした。Artに見られるアースワーク、美術館を飛び越えて行くオフミュージアム化と似て、Scienceでは、実験室を離れ環境との調和をはかるソフトなScienceへの思考(いわゆる「環境にやさしい科学」)する萌芽が見られ始めた。
60年代を検証したのは、映画『2001年宇宙の旅』(68年)である。SF映画の範疇をこえ世界で鑑賞され賛否両論を呼んだ。AIが搭乗員の1人としてロケットの中にセットされ、そのAIがロケットの軌道を誤作動させ、ビッグバンにも似た異次元(時空特異点)に乗組員を連れ去っていく。ロッシのX線天体発見、宇宙からのパルス信号など宇宙研究が進むなか、この映画は宇宙開発への疑問を呈した。とくに後半、行き先を見失ったロケットから乗務員がサイケデリックな原色光線を放つ宇宙を目撃するシーンは、60年代文化への共鳴と批判を込めていた。あるいは、行き先のない宇宙開発、科学開発への反省がこめられているのかもしれない。この映画以降、Art & Scienceは、楽天主義的な未来を描くことがむずかしくなった。66年のE.A.T.(Experiment in Art & Technology)は、パフォーマンス、メディア、音楽、テクノロジーを の関係性を問いながら、上の未来性と多く重なっていった。これは60年代Experiment(実験)の象徴のひとつといえるだろう。
参考文献(年表を含む)